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挫折は成功の過程、イノベーターのジレンマ解消が人生の分岐点になった。XTC創業者の一人、ヤン・ソンが歩んだ人生とは?
young

Extreme Tech Challenge(以降、XTC)創業者の一人、Young Sohn(ヤン・ソン)氏の生い立ちから現在の価値観形成に至るまでがForbesにて公開されています。2014年9月に公開された記事の一部を引用し、XTCを創設した彼の人生についてご紹介します。

XTCの創業者の一人、ヤン・ソンとは?

ヤン氏は、ペンシルバニア大学で電気工学の理学士号を取得して卒業し、MIT Sloan 経営大学院で理学修士号を取得しています。大学卒業後、創業間もない頃のインテル(Intel)に勤め、スタートアップ企業の立ち上げやIPO(株式公開)を支援していました。

その後、韓国系家電メーカーのサムスン(Samsung)で社長兼最高戦略責任者を務め、現在ではサムスンの子会社であるハーマンインターナショナル(Harman International Industries)の取締役会長でもあります。
»Wikipedia Young Sohn

XTCを創設する前に考えていたこと

XTCは、テクノロジーでグローバル課題を解決するために設立された起業家のための世界最大規模のスタートアップ・コンテストで、ビル・タイとヤン・ソンによって設立されました。ヤン氏は創設者、そして投資家として、このXTCに関わっています。

それ以前にもさまざまな企業に投資を行ってきたヤン氏。サムスンでは、常に技術の最先端を走り続けることが可能になるよう、イノベーションと新製品開発において、大企業と中小企業が役割をうまく果たすよう架け橋となり、社長兼最高戦略責任者として舵取りをしてきました。

その背景には彼のどのような想いがあるのでしょうか。記事ではこの様に語られています。

私たちがやろうとしているのは、スタートアップコミュニティで起きているイノベーションに手を差し伸べることです。だから、私たちは多くのスタートアップや大学と連絡を取り合っています。

私の仕事は、中小企業から学んだことをすべて応用し、成功した大企業に、これまでとは違う考え方を身につけさせることなのです。
(出典:Forbes“Helping a Korean Electronics Giant Stay Nimble”)

xtc

心にあるのは、人々の生活をより良くすること

みなさんは、「イノベーターのジレンマ」をご存じでしょうか。
これは、成功した企業が顧客の現在のニーズに焦点を当てすぎて、将来のニーズに対応する新しい戦略や技術を採用しない場合、遅れをとることがあるという理論です。ハーバード大学のクリステンセン氏という実業家であり高名な経営学者が1997年に初めて提唱し話題になりました。

では「イノベーターのジレンマ問題」に巻き込まれないように、どのようにビジネスを生み出したらいいのでしょうか。

この理論を引き合いに記事では、こうも語られています。

サムスンは、よりグローバルに、より機敏に、より早く外部のアイデアを採用しています。その過程で古典的なイノベーターのジレンマ問題に巻き込まれることなく、新しいビジネスを生み出すことができてきました。

そのため、人々の生活をより良いものにするために、どのような影響を与えるかを常に考えています。

それが、私が個人的に取り組みたい問題。高齢化や慢性疾患、コスト増が懸念される健康分野で、ITの革新性や強みを生かすことはできないか、というようなことに取り組んでいます。
(出典:Forbes“Helping a Korean Electronics Giant Stay Nimble”)

また、このようなヘルステックの延長上に生体認証から自然言語に話が及び、個人情報やバイタルサインが信号で抜き取られることは、銀行に預け入れているお金を勝手に使われてしまうようなものだとも語られています。こういったデータは個々人が保有しておくべきデータであると。

XTCでは、技術で社会課題を解決するためにヘルステック分野へも投資が行われています。このようなインテルやサムスンでの経験が彼のなかで、XTCの礎になっているのかもしれません。

ヤン・ソンが歩んだ人生とは

MITへの進学や大企業での活躍、順調な昇進の部分だけを切り取ってみると、恵まれた環境に育ち、何不自由なく暮らしてきたかのように思えます。しかし、実際にはそんな平坦な道のりではなかったのです。

記事の最後には、ヤン氏の人生について、このように語られています。

ヤン氏の人生は、典型的な米国のサクセスストーリーに見えるかもしれません。しかし実は、彼は韓国で育ち、中学生のとき、母親が米国への移住を決意したのです。父が亡くなったことで、母が「女性が家族を養うには米国のような国しかない、韓国では女性が仕事を得るのは大変だから 」と、米国へ移住することに。

結局、彼はワシントンDC郊外の高校に進学をし、そこでヤン氏は「船から降りてきたような移民」のような扱いをされたと言います。

「全校生徒の中で、アジア系の子供は私と弟の2人だけだったと思います。先生は私たちに特別な配慮をしてくれました。先生は1時間早く来て、私に英語を教えてくれたのです。」

その後、ヤン氏はペンシルベニア大学に入学し、学士号を取得しました。何を勉強するかということについては、あまり考えがなかったと当時を振り返ります。

彼の母は、「あなたはエンジニアになるんでしょう。早く職に就いたらどう? 」と言ったそうです。

その後、MITの大学院に進み、ヒューレット・パッカード社でエンジニアとして働き、自分の会社を興しましたが、それほどうまくいかず結局は売却してしまいました。

1983年、ヤン氏はインテルに入社し、シリコンバレーに移り住むことに。

Robert Noyce(ロバート・ノイス)、Gordon Moore(ゴードン・ムーア)、Andy Grove(アンディ・グローブ)という「インテル三人組」とともに働き、インテルを世界最大のコンピュータ・チップ・メーカーの一つに育て上げました。

「特にCEOだったアンディ・グローブとは、一緒に仕事をすることで多くのことを学んだ」とヤン氏は振り返ります。「CEOのアンディ・グローブは、本当に優秀でとても頭がいいんです。」

その頃、インテルとサムスンは、半導体の合弁事業を検討していました。そしてヤン氏は、その話し合いの通訳をすることに。

「たまたま、その場に居合わせたのがきっかけで、向こうの人と知り合うことができたんです」とヤン氏は言います。

その後、ヤン氏はインテル社を退社し、さまざまな中小企業のトップに就任していたときも、サムスンとの関係は続いていました。そして2012年、ヤン氏はサムスンに戦略責任者として入社。

「以前は、このような役職はなかったと思うんです。サムスンは、グローバルな市場に対して、「イノベーターのジレンマ」と呼ばれるようなことに対して変化を求めていたと思います。成功した企業には、どのような企業でも、どう革新を起こし、どのように変化していくべきなのかという課題があります。そして、成功すればするほど、この問題は大きくなります。成功すればするほど、変化することが難しくなるのです」。
(出典:Forbes“Helping a Korean Electronics Giant Stay Nimble”)

絶望や失敗、若いうちは特にそのような人生の挫折に出会うこともしばしばあります。そして、ヤン氏もその道のりを乗り越えてきたうちの一人です。きらびやかな世界の裏側にはその分だけ、多くの苦労や影があり、その光を支えているのかもしれません。

挫折を成功へと導く鍵とは

そしてこの挫折を成功へと導くものとは何か?

1950年代後半、米国ではハーレーダビッドソンなどのヨーロッパの輸入バイクが人気を博していました。そして当時、イギリスが米国のオートバイ輸入市場の49%を占めていました。

ホンダはそこで、米国市場に大型オートバイの導入を検討します。しかし、その戦略はひょんなことから大きく変化を見せるのです。
あるとき、ホンダの日本人輸入スタッフが日本製の小型50ccバイクでロサンゼルスを走り回っていたところ、バイヤーたちから問い合わせがかかったことから、小型オートバイの潜在市場の発見につながりました。

後に、米国で小型オートバイ・スーパーカブが米国市場を席巻し、1966年にホンダは米国のバイク市場の63%ものシェアを獲得します。

ヤン氏がインテルで通訳として、サムスンと出会い人生の新たな一歩を歩んだように、「ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取る」。セレンディピティ(Serendipity)を大切に、まず一歩あゆみを進めることが人生には必要なことなのかもしれません。

この記事を読んでいるあなたも、いずれはヤン氏のように起業したり、事業を成長させ成功させたいと思っているとしたら、彼らが創設したXTCへ参加してみるのはいかがでしょうか。年に一度、日本予選をXTC JAPANとして実施しています。

XTC日本予選で優勝するとグローバル大会への道が開かれていきます。今ではユニコーン企業となったCanvaもこのXTCの参加したことがきっかけで大きく世界へ羽ばたきました。

そして、次はあなたが、そのうちの一人になるのかもしれません。

起業相談はGaiax STARTUP CAFE!

NEXTAパートナー企業の、株式会社ガイアックスは社会課題解決事業をサポートしているスタートアップスタジオです。
ガイアックスの実施しているSTARTUP CAFEでは、「ビジネスアイデアはあるけど次のステップがわからない」、「そもそも自分のアイデアの価値を知りたい」といった相談を無料で受け付けています。
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XTC JAPAN
挫折は成功の過程、イノベーターのジレンマ解消が人生の分岐点になった。XTC創業者の一人、ヤン・ソンが歩んだ人生とは?
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Extreme Tech Challenge(以降、XTC)創業者の一人、Young Sohn(ヤン・ソン)氏の生い立ちから現在の価値観形成に至るまでがForbesにて公開されています。2014年9月に公開された記事の一部を引用し、XTCを創設した彼の人生についてご紹介します。

XTCの創業者の一人、ヤン・ソンとは?

ヤン氏は、ペンシルバニア大学で電気工学の理学士号を取得して卒業し、MIT Sloan 経営大学院で理学修士号を取得しています。大学卒業後、創業間もない頃のインテル(Intel)に勤め、スタートアップ企業の立ち上げやIPO(株式公開)を支援していました。

その後、韓国系家電メーカーのサムスン(Samsung)で社長兼最高戦略責任者を務め、現在ではサムスンの子会社であるハーマンインターナショナル(Harman International Industries)の取締役会長でもあります。
»Wikipedia Young Sohn

XTCを創設する前に考えていたこと

XTCは、テクノロジーでグローバル課題を解決するために設立された起業家のための世界最大規模のスタートアップ・コンテストで、ビル・タイとヤン・ソンによって設立されました。ヤン氏は創設者、そして投資家として、このXTCに関わっています。

それ以前にもさまざまな企業に投資を行ってきたヤン氏。サムスンでは、常に技術の最先端を走り続けることが可能になるよう、イノベーションと新製品開発において、大企業と中小企業が役割をうまく果たすよう架け橋となり、社長兼最高戦略責任者として舵取りをしてきました。

その背景には彼のどのような想いがあるのでしょうか。記事ではこの様に語られています。

私たちがやろうとしているのは、スタートアップコミュニティで起きているイノベーションに手を差し伸べることです。だから、私たちは多くのスタートアップや大学と連絡を取り合っています。

私の仕事は、中小企業から学んだことをすべて応用し、成功した大企業に、これまでとは違う考え方を身につけさせることなのです。
(出典:Forbes“Helping a Korean Electronics Giant Stay Nimble”)

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心にあるのは、人々の生活をより良くすること

みなさんは、「イノベーターのジレンマ」をご存じでしょうか。
これは、成功した企業が顧客の現在のニーズに焦点を当てすぎて、将来のニーズに対応する新しい戦略や技術を採用しない場合、遅れをとることがあるという理論です。ハーバード大学のクリステンセン氏という実業家であり高名な経営学者が1997年に初めて提唱し話題になりました。

では「イノベーターのジレンマ問題」に巻き込まれないように、どのようにビジネスを生み出したらいいのでしょうか。

この理論を引き合いに記事では、こうも語られています。

サムスンは、よりグローバルに、より機敏に、より早く外部のアイデアを採用しています。その過程で古典的なイノベーターのジレンマ問題に巻き込まれることなく、新しいビジネスを生み出すことができてきました。

そのため、人々の生活をより良いものにするために、どのような影響を与えるかを常に考えています。

それが、私が個人的に取り組みたい問題。高齢化や慢性疾患、コスト増が懸念される健康分野で、ITの革新性や強みを生かすことはできないか、というようなことに取り組んでいます。
(出典:Forbes“Helping a Korean Electronics Giant Stay Nimble”)

また、このようなヘルステックの延長上に生体認証から自然言語に話が及び、個人情報やバイタルサインが信号で抜き取られることは、銀行に預け入れているお金を勝手に使われてしまうようなものだとも語られています。こういったデータは個々人が保有しておくべきデータであると。

XTCでは、技術で社会課題を解決するためにヘルステック分野へも投資が行われています。このようなインテルやサムスンでの経験が彼のなかで、XTCの礎になっているのかもしれません。

ヤン・ソンが歩んだ人生とは

MITへの進学や大企業での活躍、順調な昇進の部分だけを切り取ってみると、恵まれた環境に育ち、何不自由なく暮らしてきたかのように思えます。しかし、実際にはそんな平坦な道のりではなかったのです。

記事の最後には、ヤン氏の人生について、このように語られています。

ヤン氏の人生は、典型的な米国のサクセスストーリーに見えるかもしれません。しかし実は、彼は韓国で育ち、中学生のとき、母親が米国への移住を決意したのです。父が亡くなったことで、母が「女性が家族を養うには米国のような国しかない、韓国では女性が仕事を得るのは大変だから 」と、米国へ移住することに。

結局、彼はワシントンDC郊外の高校に進学をし、そこでヤン氏は「船から降りてきたような移民」のような扱いをされたと言います。

「全校生徒の中で、アジア系の子供は私と弟の2人だけだったと思います。先生は私たちに特別な配慮をしてくれました。先生は1時間早く来て、私に英語を教えてくれたのです。」

その後、ヤン氏はペンシルベニア大学に入学し、学士号を取得しました。何を勉強するかということについては、あまり考えがなかったと当時を振り返ります。

彼の母は、「あなたはエンジニアになるんでしょう。早く職に就いたらどう? 」と言ったそうです。

その後、MITの大学院に進み、ヒューレット・パッカード社でエンジニアとして働き、自分の会社を興しましたが、それほどうまくいかず結局は売却してしまいました。

1983年、ヤン氏はインテルに入社し、シリコンバレーに移り住むことに。

Robert Noyce(ロバート・ノイス)、Gordon Moore(ゴードン・ムーア)、Andy Grove(アンディ・グローブ)という「インテル三人組」とともに働き、インテルを世界最大のコンピュータ・チップ・メーカーの一つに育て上げました。

「特にCEOだったアンディ・グローブとは、一緒に仕事をすることで多くのことを学んだ」とヤン氏は振り返ります。「CEOのアンディ・グローブは、本当に優秀でとても頭がいいんです。」

その頃、インテルとサムスンは、半導体の合弁事業を検討していました。そしてヤン氏は、その話し合いの通訳をすることに。

「たまたま、その場に居合わせたのがきっかけで、向こうの人と知り合うことができたんです」とヤン氏は言います。

その後、ヤン氏はインテル社を退社し、さまざまな中小企業のトップに就任していたときも、サムスンとの関係は続いていました。そして2012年、ヤン氏はサムスンに戦略責任者として入社。

「以前は、このような役職はなかったと思うんです。サムスンは、グローバルな市場に対して、「イノベーターのジレンマ」と呼ばれるようなことに対して変化を求めていたと思います。成功した企業には、どのような企業でも、どう革新を起こし、どのように変化していくべきなのかという課題があります。そして、成功すればするほど、この問題は大きくなります。成功すればするほど、変化することが難しくなるのです」。
(出典:Forbes“Helping a Korean Electronics Giant Stay Nimble”)

絶望や失敗、若いうちは特にそのような人生の挫折に出会うこともしばしばあります。そして、ヤン氏もその道のりを乗り越えてきたうちの一人です。きらびやかな世界の裏側にはその分だけ、多くの苦労や影があり、その光を支えているのかもしれません。

挫折を成功へと導く鍵とは

そしてこの挫折を成功へと導くものとは何か?

1950年代後半、米国ではハーレーダビッドソンなどのヨーロッパの輸入バイクが人気を博していました。そして当時、イギリスが米国のオートバイ輸入市場の49%を占めていました。

ホンダはそこで、米国市場に大型オートバイの導入を検討します。しかし、その戦略はひょんなことから大きく変化を見せるのです。
あるとき、ホンダの日本人輸入スタッフが日本製の小型50ccバイクでロサンゼルスを走り回っていたところ、バイヤーたちから問い合わせがかかったことから、小型オートバイの潜在市場の発見につながりました。

後に、米国で小型オートバイ・スーパーカブが米国市場を席巻し、1966年にホンダは米国のバイク市場の63%ものシェアを獲得します。

ヤン氏がインテルで通訳として、サムスンと出会い人生の新たな一歩を歩んだように、「ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取る」。セレンディピティ(Serendipity)を大切に、まず一歩あゆみを進めることが人生には必要なことなのかもしれません。

この記事を読んでいるあなたも、いずれはヤン氏のように起業したり、事業を成長させ成功させたいと思っているとしたら、彼らが創設したXTCへ参加してみるのはいかがでしょうか。年に一度、日本予選をXTC JAPANとして実施しています。

XTC日本予選で優勝するとグローバル大会への道が開かれていきます。今ではユニコーン企業となったCanvaもこのXTCの参加したことがきっかけで大きく世界へ羽ばたきました。

そして、次はあなたが、そのうちの一人になるのかもしれません。

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